starposの日記

思ったこと感じたこと考えたことを書く

主体的なモチベーションコントロールの能力,それは,ヒトが遺伝子に縛られていないことを教えてくれた.

世の中の多くの人にとっては当たり前かも知れないが,今日,自分にとっては大の大の大発見を,僕はしてしまった.

「モチベーションコントロールは自分でやってもいいんだ」

自分のやる気をコントロールするために積極的なアクションを取ることが可能なんだってことに気がついたこと.じゃあなんだ?これまでは一体全体どうしてたんだ?と.今思えば,これまでは大きい粒度でしかそれを実践できてなかった.一ヶ月に一度程度のイベントに参加するか参加しないか,くらいの判断しかおそらくしていなかったのだ.つまり,ほとんど,日々を受け身に過ごしていたと言っても過言でもなさそうだ.そうじゃなくて,もっと小さい粒度で,日々の,時間単位の,分単位の,自分のやる気を監視して,やる気がなくなったと思ったらさっさと別のことをやって別のベクトルのやる気を引き出すことが可能なんだって気がついたのが,ついさっきなんだ.いつも同じ場所で釣り針を垂らして,魚が釣れない釣れないって嘆いているんじゃなくて,釣れないなと思ったら,どんどん別の場所に行って釣れるところを探せばいいんだ.

他人から褒められるのがやる気が一番出るっていうけど,それは火に薪をくべるようなもので,きっと最初は,自分で火を起こさないといけないんだ.マッチを使ってもいいし,ライターだっていい.そしてついた火を大切に,大切に,大きくしていくイメージが頭の中で,色々な具体的なアクションだけでなく,何かメタな知識と結びついた.

モチベーションコントロールを自分で出来るって,すごく高度な情報処理だよね.なんでかっていうと,自分がそのとき何にフォーカス(注目)しているか,そしてその対象にどれだけワクワクしているか,それを自分で監視して,その方向を意図的に変えることが出来るんだぜ.これは,やる気の時間積分を最大化しようとするメソッドってことだ.

でも,そんなことを考えているうちに,一つの疑問が出てきたりする.生き物は,遺伝子の乗り物だって考え方があるだろう?何のために生きるのかって,それは本能がメシを食いたい,寝たい,遊びたい,と願うからって考え方だ.僕は,本能のラッパーが理性だって考えてたから,理性に根付いた生きる理由なんて,存在しないと思ってた.だから,こんな年になるまで,気がつかなかったんだな.頭を硬すぎず,柔らかすぎずに保つのは,とっても難しいな.自分でモチベーションコントロールできるってことは,生きる理由を自分で決めることが出来るってことだ.あーすごい.つまり,ヒトは,とっくの昔に遺伝子から解き放たれていたってことなんだ.

うん,これは,一年に5回くらいしかない,僕の人生にとって,どう考えてもかなり重要な発見だ.だから,文章で記録に残しておくことにする.